仕事中、聞きたいことがあった私はたまたま通りかかった一人の現地スタッフに声をかけた。
「すみません、ちょっとお願いをしてもいいですか?」
英語で話しかけた瞬間。
そのスタッフは逃げていきました。
あれ?私なにか変なことをした?
悩む私にその光景を見ていたらしい、同じ部署のスタッフが教えてくれました。
「あの子、英語が喋れなくって恥ずかしいから逃げたのよ」
「そうだったんですか!」
英語はフィリピン人にとっては第二言語だから話せない人がいても不思議じゃないか。
このときはそう思い、納得したのですが…。
その後。
スーパーの店員に英語で話しかけたら同じように逃げられたり、
社内の電話に英語で出たら一瞬で切られてしまったり、
英語を聞くだけであまりにも必死に逃げる人達に疑問を感じるようになりました。
「どうして英語からそこまで逃げるのかな?それとも、
私が未知の生物に見えて怖っているのでは?!」
真相を確かめるべく、いつも良くしてくれる英語が話せる現地スタッフ達に協力をお願いしました。話を聞いた皆はこころよく理由を話してくれた。
「それはね、あの人達が英語コンプレックスを持っているからだよ」
ついでに私は恐ろしい未知の生物に見えないことも教えてくれました。
(みんな優しい…)
『英語コンプレックスの話』の聞いてさらに自分で調べてみたら、フィリピンの「学歴社会」が大きく関係していることがわかりました。
昔のフィリピンでは母国語のタガログ語よりも第二言語の英語のほうがよく使われていました。現在、母国語のタガログ語を普及させる動きがあって英語を使う人は年々減っているようなのですが…。
それでも英語が話せる・話せないだけでその後の人生が大きく変わるのです。
どんなに立派なスキルがあっても「英語が話せない」だけで、
・会社での出世が望めない
・いい仕事がもらえない
と、このように選択肢が限られてしまうのです。
また、英語を喋れるようになるには学校で勉強する必要があるため、
・英語が話せる=経済的に恵まれていい学校に行った
・英語が話せない=学校にほとんど行けなかった
という風に見られてしまうことも多いそうです。
そのため、英語が話せない人達はその劣等感から必死に逃げていたのでした...。
母国語ではない言葉が話せないだけで人生の選択肢が一気に狭くなる現実...。
このことを知った私は深く反省しました。
フィリピン人にとって英語はあくまで第2言語。
母国語はもちろんある。
そのことを知っていたのに「フィリピンは英語が通じるから大丈夫!」と周囲に甘えていた自分が恥ずかしくなりました。
どんな国でも相手の言葉を知り、話すことが距離を縮める一歩の一つ。
この日から心を入れ替えて、フィリピンの母国語のタガログ語の勉強と会話をするように心掛けたのでした。