フィリピン現地採用として働いた私は膨大の仕事量に飲まれそうな毎日を送っていました。
自分の未熟さのせいで終わらない仕事(主に翻訳)を持ち帰って12時過ぎまでにやることも多かった。でも私は一度も自分がいる会社をブラックと思いませんでした。
なぜなら、待遇が恵まれていたから。
ビザは会社側が手配。
治安が良い場所で住む部屋を提供。
家賃は会社側の負担。
現地の保険あり。
社用車あり。
給料もそこそこ。
海外就職するときにあるとうれしいものを会社は提供してくれていました。
人間関係も悪くなく、仕事が大変でも休みの土日に気分転換することでストレスを解消できた。
が、ある日から全てが変わってしまいました。
きっかけは組織の変更により職場環境の変化。
日本にある本社の指示による組織の大幅な変更がありました。それと合わせて職場環境も大きく変わった。
まず一番変わったのが「月曜日から金曜日の週5勤務」が「月曜日から土曜日の週6勤務」になったこと。(フィリピンでは週48時間の週6日勤務は可能なので違反ではありません)
休みが週に一度になったのは想像以上に辛かった...。
次に変わったのは勤務時間。
今までは仕事終わりの時間は6時になっていました。時間に間に合わず遅く帰る日もあったが、それでも日本で言う終電前までには帰れました。
しかし、変更後は帰りの時間が9時、10時とだんだん遅くなる日が増えていきました...。
帰りが遅くなったことで、持ち帰り残業していた私は睡眠時間を削って仕事をするように。
そして一番影響が大きかったのが仕事の増加。
組織の変更と同時に多くの仕事が本社から私がいるフィリピンの拠点に流れ込んだ。これによりただでさえ仕事でパンク寸前だった現場が大量の仕事によって「キャパオーバー」に。もちろん舞い降りてきた仕事にも納期はある。
あまりの仕事の量に現地スタッフ、駐在員とみんな笑顔を浮かべる余裕を失くしていった。そして私も例外ではありませんでした。仕事量が一気に増えたことで、時間内に終わりきらない仕事を持ち帰る残業が増えてしまったのだ。
一方、社内では余裕のなさからピリピリした空気が流れるようになってしまう。
そしてついに「できません!」と本気で泣きながら訴える現地スタッフ。
「私だってもう限界だよ!」と泣きそうになる気持ちをこらえながら現地スタッフをなだめました。
「辛いのはみんな同じ。だから一緒に頑張ろう!私も手伝うから」自分にも言い聞かせながら現地スタッフを励ますのでした。
たった一瞬で労働時間がブラック化してしまった職場。でも、この時の私は会社を辞めるという発想はありませんでした。長時間労働以外の手当などに問題がなかったから。
辛いのは今だけ。頑張ればきっと報われる!
そう信じて仕事を続けました。
しかし、この考えは甘かった...。私は分かっていなかったのです。
長時間労働の恐ろしさを...。
つづく
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(※タイトルを変更しました 2018/2)
(※一部、修正させていただきました。2018/2/28)